ゲームセンターあらし。私の現在を密かに決めた作品である。 この漫画を最初に読んだのは確か小学校1年の時ではなかったろうか。 友人の家で小学館の月刊コロコロコミック(以下、月コロと表記)を読ませてもらったときだったと思う。、 既に内容は忘れてしまったが、非常に面白かったのだろう、暫くたって 私はあらしの単行本を手にしていた。1巻だったと思う。 以降、3巻までは手に入れた。2、3巻は初版本ではなかったかと思うがそのあたりは定かではない。 すがやみつる先生のサイトにはあらしを描くにいたった経緯が述べられているが、 1巻からいきなりかなりの人気であったらしい。 当時はまだインベーダーゲームが人気を博していた頃であり話題性もあったことと思う。
今から見ると、稚拙な話でもあり、絵もさほど上手い絵ではないと思う。 しかし、どこかこう燃えるものがあったような気がする。
小学校4年の時だろうか、月コロから分かれて「別冊コロコロコミック」」(以下、別コロと表記)という雑誌が創刊された。 創刊時は隔月刊か季刊だったか。季刊だったとしても5号までには隔月刊になっていたと思う。 この雑誌はむろん本当の事情は知らないがこの「あらし」の為に作られた雑誌であったといっても過言ではない。 5巻に収録されている「黄金のTVゲーム」は100ページ以上の大作であるが、 これは「別コロ」創刊号の巻頭に掲載された漫画であった(と記憶している)。 総ページ数は今の週間少年ジャンプと同じぐらいであったと思われる雑誌にこのページ数は破格であると思う。 どう考えてもあらしの為に作ったとしか思えなかった。
当時は小学生であったためわからなかったが、 あらしは同時に月コロにも連載されていた。 別コロも人気があったらしく2年目ぐらいには月刊化されていたと思う。(このあたりが曖昧ではあるが少なくとも購読中に月刊化はされた) その時期でも同時に連載されていた。 また、ページ数も別コロ掲載分はだいたいが創刊号と同様のページ数で描かれていた様に思う。 (これが、別コロ掲載分は単行本未収録作品が大半な為、記憶を頼りに書いているのでかなり曖昧。月刊化した後はやはり少なくなっていたのかもしれない。 それでも50ページ程度はあったと思う) これは考えると凄い話だ。 いくら月刊ペース、隔月刊ペースとはいえ2カ月で約200ページもの原画を描いていたことになる。 これで、話に落ちつきを持たせるのが無茶ではないだろうか。 (手塚治虫氏などはやってたみたいですけど・・・) 小学生程度の判断力でもどこかに疑念を持っていたような気がするのだからまぁたいがいな話ではある。 終わりの方などもう話の作りなどかなりいい加減といえばいい加減なものだったし。
それでも、あらしにはあこがれをもってたと思う。 この漫画がきっかけでパソコンにもコンピュータゲームにも興味を持ったことは否定できない。 この漫画に引き続き別コロに連載された「マイコン電児RUN」(綴りが怪しい)もその流れで読んでいた。 直接的な影響はこの漫画の方が大きかったと言えるかもしれないが、 やはり潜在的な影響を考えるとあらしのほうに軍配が上がるだろう。
ところで、同時期に発売された本に「こんにちわマイコン」がある。 これは私たちの世代にとっては大変有名な本で、私などこの本を読むか知るかしてコンピューターの世界に足をつっこんだ世代を 「こんにちわマイコン世代」とまで読んでいるぐらいである。 残念ながら私はこの本を購入していない。 発売された時期は中学1年か小学校6年だったかの時期だったが、 とりあえずは友人が持っていたので読ませてもらった。 今となって思えば惜しい気もする。 この「こんにちわマイコン」というのはあらしを主人公にした、マイコンの入門書というか紹介書である。 すがやみつる先生のサイトでもふれられているが、 やはりこの本をきっかけにこの世界に入った人は多いらしい。 私の場合はこの時期に中古でJR-200を購入し、雑誌(電波新聞社のマイコンBASICマガジンや工学社のPiO等)に掲載されているプログラムを入力するなどしてパソコンに慣れ親しんでいく。 現在のプログラミングの知識や機会の知識の大半はこの時期に得られたように思う。 その後、高校ではパソコン関係のクラブに入部し大学では情報科学専攻というコンピュータ関連のところに入学。 そのまま大学院に進学と今に至っている。
やはりきっかけは「あらし」であったのだろう。